鶴見俊輔

15歳で渡米し、太平洋戦争が始まったときはハーバード大学に在学中でした。敵国人として留置場に入れられた後、交換船で日本に帰国した鶴見さん。アメリカにいても、日本に帰ってからも、自分を「外人」だと感じて生きてきました。ただ、その頼りない気分が今も残っていて、自分のくらしを支える力になっていると言います。タイトルに留まらず、「今もわたしは外人だ」と述べる著者のメッセージは、読者に「きみも、本当は外人なのではないか?」と問いかけます。